知名度こそは低いかもしれない。でも日本の音楽への貢献度はかなり大きいと思っている。長渕剛は、彼の『一本道』という曲を聴いて音楽の道に進む決意をしたのだという。吉田拓郎は同曲の詩を聴いて、「(友部は)ライバルではなくジェラシー。俺にはあんな詩書けない。」とまで言いのけた。他にも宮沢和史 (THE BOOM)、たま、森山直太朗他多くのミュージシャンが影響を受けている。
あの坂本龍一のデビューも友部のアルバム『誰もぼくの絵を描けないだろう』だった。
自分が初めて聴いた友部の曲も『一本道』だったが、1986年に長渕がNHK-FMの番組に出演した際に歌った時のものだった。翌年、自分は友部本人の声を聴くこともなく渡米。
数年後、1991年だっただろうか、テキサスの大学時代のある日、タイ人の友達のアパートに行ってた時のこと。2人で出かけようと思ったら、リビングルームのテーブルの上に、なんと友部正人の『大阪へやって来た』のCDが置いてあるではないか。彼のルームメイトはメキシコ系アメリカ人で、2人とも日本語は喋らない。いったい誰が…と思って訪ねてみたら、どうやらそのルームメートの日本人の友達が泊りに来ていたらしい。本人には当日会うことはできなかったが、後日紹介してもらい、親切にも『大阪へやって来た』だけではなく『にんじん』もテープに録音してくれた。それ以来自分も友部のファンである。
毎年ニューヨーク・マラソン出場のため、秋には長期滞在していると言うのは聞いていた。2000年10月、マンハッタンのチャイナタウンでライブをするという情報が入ってきたが、丁度自分が手術をしなければならない時期だったので断念。その後も本人のブログで、我が家の近所まで来たようなことが書いてあり、所詮すれ違いばかりだろうなと思うようになった。
だが2015年10月、マンハッタンの紀伊國屋書店に入ったら、なんと本人がいるじゃないか。声をかけてみたが、噂通り、なんとなくシャイっぽくて話しかけ難そうな雰囲気満載だったんで、握手もサインも写真もお願いすることなく、「ただのファンです…。」「あ、そうですか…。」で終わってしまった。