昨年12月27日に日本で放送されたドラマ『志村けんとドリフの大爆笑物語』を観ることができた。これまでもドリフのコントは結構YouTubeで観てるし、NHK『ファミリーヒストリー』の志村けんの回も観てたので、目新しい情報は少なかったけど、あんな感じでドラマとして再現されると、また違う見方が出来て、感動しながら観れた。

荒井注が『8時だョ!全員集合』に出てたことをなんとか憶えてる自分だが、志村けんの台頭は記憶に明確に残ってるわけで、同じ世代の大半の人達同様『全員集合』を見て育ったようなもんだ。

だが、5年生の春に『オレたちひょうきん族』が始まると、既に漫才が好きだった自分は即ハマってしまい、6年生になるとドリフなんか幼稚だと思うようになった。なので、あれだけ大好きだった『全員集合』の最終回も観た記憶はない。

とはいえ、『ひょうきん族』も少しずつ飽きてきたのも事実。特に、『タケちゃんマン』でビートたけしと明石家さんまが演ずる数々のキャラクターとのやり取りが、自分にとってマンネリ化し、そのうちあまり観なくなった。

あれから40年近く経っても、ドリフを観たくなることはあるのに『ひょうきん族』を観たいとは別に思わない。何度か部分的にYouTubeで観たことはあるが、なんか面白いと思えないのが正直なところ。

そして今、海外在住なので制限はあるが、日本のメディアを見てると、『全員集合』と『ひょうきん族』に対する関心度にかなりの差があるように感じられる。もちろん放送期間の長さが全く違うし、志村けんが他界して間もなく話題としてはまだ新鮮だというのもあるだろう。だが今回色々考えながらドラマを観ていると、あくまで結果論だが、『ひょうきん族』って『全員集合』終了後もしばらく続いたらしいが、なんとなく『全員集合』を潰すためだけに存在したのかと思えてきた。

とか思ってたら、ビートたけしが両番組について語っている映像を見つけた。
※ 当初YouTubeへのリンクを貼っていたが、案の定著作権違反で削除されたようだ。

二人の会話を聞いていて思ったのは、どちらが本物かという比べ方も野暮だし、お笑いに限らずどんな芸能もプロの場合は最終的には客にウケるのが目的だが、じっくり練って創り上げたものと、ある程度その時のノリだけで造られたものとでは、長い目で見ると大きな差が生じることがあるということ。

当然、音楽にもプロレスにも言えることだと思う。『ウケ狙い』ってのが、携わる人達がどんなものを創りたいかってことより優先されたら、本人達の良さも表現しきれないだろうし、その分野が本来持ってるはずの芸術性が薄れても不思議じゃない。

実は、教会もそんな部分がある。特にアメリカでは、信仰を養うことより、会衆を喜ばせることを優先してるというか、まるでクリスチャン向けのエンターテイメントセンターのような教会も多く存在する。そういう教会の多くは、まるでカルトかと思わせるくらい牧師の人気が凄く、本来あるべき姿から外れてるように見える。既に多くの人達は、信仰を養うことを目的とした教会から去り、「こっちの方が『恵まれる』」とか言いながら自分がいい気分になれるという理由でそういう教会に移っていると聞く。信徒を失い続ける教会は廃れるかもしれないし、一方、移り先の教会も、もしそこのカリスマ牧師が亡くなったりしたら多くの人達が去るだろう。正に共倒れになりかねない。

それ以前に、どんな分野も、本物が廃れると即席の有難味ってのも薄れていくんだろうな…。

こんなこと書いてる自分こそ、歳を重ねるごとに、本当に何をやりたいのか更に明確にしなければと実感する今日この頃。

Jesus loves y’all.